「ライフライン」ということについて考える
みなさん、お久しぶりです。
まずは今回の震災で被害を受けた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
…というか私の住んでいる茨城県も被災地ですが。。。
本震から2週間が過ぎておりますが、いまだに定期的に余震がつづき、
これがボディブローのようにじわじわと効いてきて「何となく体調が悪い」状態の方も
多いと思います。
とにかく
「常に揺れている」
という感じなのです。
さて、今日はそういった災害そのものではなく、災害時における
「ライフラインの確保」
ということについて
ちょっと感じたことを書きたいと思います。
実際に災害を受ける前は
「ライフライン」
というキーワードに対して「ガス」「水道」「電気」「電話」とかいった
「手段」
にだけ注目していた気がします。
しかし、実際に被災してみると、それが単なる「手段の一部」であり、
「目的」ではないことにイヤでも気づかされるのです。
「ライフライン」とは生きるに必要なまさしく「生命線」であり
それは
「水分をとる」「食事をする」「連絡をとる」「寝る」「排泄する」
といった生きるための目的を達成するためにどのようなアプローチを持っているか
状況に応じてアプローチの修正をするための知識の引き出しをどれだけ持っているか
そしてそれをどれだけ多くの人と共有(活用)できるか
ということなのだと感じたのです。
食べるという事に関しても、例えば災害用にカップラーメンを持っていたとしても
水が無ければラーメンにはならない。火や電気が無ければお湯は沸かせない。
だったらどうするか。。。
最低限なにを確保すれば食べられるのか。いかにしたら1つのラーメンをより多くの
人で分かち合えるのか。
ガスがダメだったら火は得られないのか。
食べるという目的に対して、実は考えることはいっぱいある。
しかもひとつひとつが「我慢している」という感が強すぎると精神的に苦しくなってくる。
現実的には、現代社会において電気を遮断されるとほとんどの生活機能が停止します。
それほど電気に対する依存度が大きく、実際には「大丈夫だ」と思っている手段が
実は役立たずになる可能性が非常に高いのです。
「ウチは電気が止まっても、石油(ガス)ファンヒーターだから大丈夫」って
そのヒーター、「電気なければただの箱」ですよ。
広域で停電が起こったら通信系もアウト。
水とガスがあっても電気がなけりゃ給湯系もアウト
本当の災害時には携帯はまさかの役立たずです。
一人では完全に孤立。どうします?
水だけ持っていればいいんですか?
他の被災地に比べれば水戸あたりは大した被害はないと言えるかもしれません。
それでも、本震直後から他人を思いやる気持ちや助け合いの精神が芽生え
それぞれの人が、自分の状況を差し置いて自分が「公」の為に何ができるかを考えています。
こういうときに本当に必要なのは「自分の水」を確保することではなく、周りの人を思いやる気持ちをもつことなのです。
自分が周りの方を思いやることができれば、自分が困ったときには必ず助けの手が差し伸べられる。
目の前の2リットルの水は2リットル飲んでしまったらそれでオシマイです。
皆で分け合った2リットルの水は2リットル以上になって帰ってきます。
日本人であることの誇り、忘れたくないものです。
- 2011.03.25 Friday
- コラム
- 10:49
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